「今さら、~」という言葉の裏側に何があるのか。「今さら、~」という前に・・・あなたの心の声を聴いてみよう。

「今さら」という言葉は、年齢を重ねてくると、無意識に使っていることがありますね。「今さら」には、否定的な意味が続いてくる。「今さら、何よ!」「今さら、無理だ。」「今さら、やるの?」と、相手への怒りにも似た感情や、自分自身への諦めの感情、“過去ならともかく、今となっては遅すぎる”というネガティブな意味合いの響きがあります。

こんにちは、日本セルフエスティーム実践協会(JSELジェイセル)の小西です。 

ある駅のホームで、携帯で話している人が、「今さら、そう言われても、無理な話ですよ。」という言葉が耳に入ってきた。相手がどんなことを言って、「今さら、無理な話」となったのか、その人の心の中にはどんな思いがあるのか、ふと気になった。

「今さら、」という言葉は、悲しい響きがあるように感じます。諦めなければならないことを受容しているような寂しさがあるから。今回は、どんな思いから「今さら」という言葉を私たちは使うのか、掘り下げてみようと思います。

「今さら、~」は、人とのかかわり、つまりコミュニケーションの中で、相手の問いかけや行動によって、「今になって、言われても」、「今からじゃ、時間がたりない」、「もっと前に言ってくれれば出来たのに」というように、表現は変わってくる。 でも、時間が関係しているということはわかります。

今、生きている私たちの心の中にも、「今さら、~」という感情が湧いてくることって、たびたびあるのではないでしょうか。

  • 社会に対しての「今さら、」

たとえば最近の情報だけでも、「え~!」と言いたくなることが数々ありましたね。

懸命に働いてきて、これから老後を楽しもうと思っていたのに、65歳に定年延長、年金の受給年齢がさらに上がりそう。専業主婦の立場で、懸命に家事育児を一手に引き受けてきたのに、物価が跳ね上がり、頼りにしていた夫の年金が目減りして、安心できない未来がみえてきた。若者に至っては、共働きで働いても給料が上がらず、税金が上がり続けて、さらに自分の年金ももらえるのかどうかが危ういなど。

そんな現実を前に、ここまで頑張っているのに、もっと頑張れというのか。「今さら、何を言ってるの!」という嘆きの言葉が湧いている人は多いと思います。

でも、その言葉の裏側(本質)には、「もっと早く、国が手を打ってくれたら、こんなことにはならなかったはず。」「もっとリーダーシップを発揮して、日本の台所をちゃんと整えてください!」という思いがある。しかし、残念ながら、「そんな政治家を選んだのは自分たちだった」という後悔と共に、情けない気持ちが心の中に渦巻いているわけです。

このような経験によって、あなたのセルフエスティームは、じつは揺らいでいるかもしれません。

周りに振り回されている自分に気づいている。そして不安な思いから抜け出せていない自分を認識しているとすれば、あなたのセルフエスティームは、弱っている可能性があります。

周りの人の思いや考えを尊重してばかりいると、自分自身の思いや考えを認識することが疎かになってしまいます。

自己理解が不十分だと、他者とのかかわりの中や、社会で起こる出来事の中で、自分はどう振舞うべきか、どう振舞えば良いのかと外側ばかりを見ているようです。自分はこれから先どう生きしたいのか、どう在りたいのかを考えられなくなっていませんか。

もし、そう感じているのなら、自己理解を深めることから始めましょう。自分にとって大事なこと/ものは何かを書き出してみる。自分にとって不要なこと/ものは何かも書き出してみましょう。それ以外のことは、あなたにとって、どっちでも良いことなのです。明確にすることで、振り回されることが少なくなり、自分はどう生きるかが明確になると思います。少し時間をかけて考え始めましょう。

  • 他者に対しての「今さら、」

こんな経験はないでしょうか。たとえば、友達4人と久々に小旅行に行こうと計画を立てた。旅行の日程は4人で決めたのに、その1週間前になって、一人から、「ごめ~ん、やっぱり行けそうにないわ。ちょっと用事ができちゃって」と軽い調子で連絡が入る。

日程はみんなが行ける日で決めたじゃないの!「今さら、何よ!」という怒りと、落胆の感情が湧いてくる。

または、職場で自分が担当したかった仕事を、上司が同僚のAを担当にした。悔しい気持ちもあったが、そんな気持ちも忘れかけたころ、上司から「悪いが君が担当してくれ、あいつは使えないわ」と言ってきた。そんなこと今になって言われても、「今さら、何だよ。最初からちゃんと人選しろよ!」という、怒りと上司への不信の感情が湧きあがった。このような経験がある人も多いかもしれない。

でも、その言葉の裏側(本質)には、「自分の考えを簡単に覆すことは止めてほしい」と言いたいのです。その裏には、社会的スキルやチームワーク力のない人とは、かかわりたくないという思いがあるからでしょう。信頼のきずなは、ささいなことからほつれてくるのです。 

別の視点では、このような経験によって、あなたのセルフエスティームは、じつは揺らいでいるのです。

それは、相手が自分でなく他者を選んだ(評価した)という事実があるからです。

他人からの評価で、セルフエスティームが上がったり下がったりしている人は多いと思います。それは他人の評価を気にしているから。

じつは、他人からの評価は、気にする必要はないし、人に認めてもらう必要など一つもないのです。なぜなら、世界のすべての人が、あなたを高く評価することはあり得ないこと。逆に低く評価することもありません。そして他人からの評価を あなたがコントロールすることもできないのです。

あなたを最も理解しているのは、あなた自身です。自分に誇りを持って行動しましょう。もし、あなたの周りにバンパイヤ(あなたのエネルギーを吸い取る人)がいるなら、その人とは付き合わないこと、または距離を置くことが良い方法だと思います。

自分の中にある「今さら、」

たとえば、他者から「あなたは、〇〇の才能がある」と言われたとする。その時、あなたは「今さら、無理です」と言うだろうか。

いつだったら、「今さら、無理です」と言うだろうか。10代だったら、20代だったら、30代だったら・・・。

いつから無理になるのだろうか?

若くしてその才能に気づいていたのなら、「ありがとうございます。でも自信がないから一歩踏み出せないのです。」というかもしれない。気づいていないなら「どうして才能があると思うのか教えてほしいです。」というかもしれない。そして、自分の可能性を信じて、前に進んでみたいと行動を起こすかもしれませんね。 

「今さら、無理です」と言うには、ポジティブに理解すれば、過去から現在まで社会と共に自分が生きてきた軌跡があり、それを変えてまでチャレンジするのは、リスクがありすぎる。うれしいけれど「今さら、頑張れない」という意味があるかもしれません。

でも、ネガティブに考えれば、人から言われるまで才能には気づかないで生きていた、「自分にそんな才能があったなんて、わからなかった」と残念な思いを吐露しながら「今さら、言われても無理だ」という意味かもしれません。

その言葉の裏側(本質)には、「私は、どんな人間なのか。何者なのか。」と自分を探求せず、自己理解もできていないまま、社会の常識に沿って今まで生きてきてしまった。社会の常識に、自分もモヤモヤと疑問を感じていたのに、そうしなかった。自分の心に目を向けておけばよかったという後悔、自分の可能性をもっと見つめておけばよかったという思いが湧くかもしれません。

あなたのセルフエスティームは、じつは揺らいでいるかもしれない。  

あなたが大事にしてきた社会の常識は、あなたのセルフエスティームに大きく影響しています。社会の常識の枠に従って生きることが良いこと、従わないことは悪いことと私たちは学んでいます。でもその常識というのは、じつはその時代に属する多くの人が信じていたことであって、それが最善のこととはいえないのです。

私たちは、社会的動物と言われています。周りの人を見て、自分はどうすべきかを見ています。それはある意味大切なことではあるのですが、「自分はどうしたいか」「どう在りたいか」を自問することのほうが、「相手はどうしたいか」を考えるよりも大事なのだと思います。唯一、自分を信じられるのは、自分なのですから。

自分はどうしたいか、どう生きたいのか、自分自身に問いかけてください。「やってみたい!」と思えるのなら、やるのです。障害や大きな壁もあるかもしれません。でも行きたいところが見つかったのなら、方法は必ず見つかります。

その時、やりたいけれどやらなかったという思いは、ずっとあなたの中で燻り続けていくものです。後になって、他人から「やればよかったのに」と言われた時、あなたは「今さら、無理だよ」というのでしょう。

「今さら、無理です」とは、言いたくないですね。もしも、行動を起こして失敗してしまっても、「今さら、無理です」とは言わないでしょう? 「やってみたよ」、「やってみたけど、自分には向いていなかった」というはずですね。 

「今さら、」というほうが、現状を維持するわけですから、気は楽かもしれません。でも、ちょっと踏ん張って、現状から脱皮すべく行動に移してみると、違う世界が見えてくるように思います。

自分の心の声に耳を傾けてみましょう。そして、自分を解放して、心の声に従って、自分に正直にふるまうことも大切なことです。あなたのセルフエスティームを大切に育んでほしいです。

人生何が起こるかわからないから面白い。失敗してもその経験は叡智になります。限りある人生だからこそ、この時間を味わっていきましょう。