経験は、あなたに幸福をもたらすもの。その経験の活かし方とは。
人生は何が起こるか分からないことばかり。生きていると、やりたいことだけじゃなく、やらないといけないことも多くありますね。人生は変化に富んだ経験が多いほど、ワクワクできそうですが、やりたくないことばかりだったら、生き抜く力も湧いてきません。経験をどう捉えるかで、人生の幸せも違ってくるように思います。
こんにちは、日本セルフエスティーム実践協会(JSELジェイセル)の小西です。
今回は、経験をどう捉えたら幸福につながるかついて、掘り下げてみます。
同じ出来事を経験しても、誰一人、同じ感情を持つ人はいません。それは、ひとり一人の受け止め方が違うからです。
ヒトは家庭環境の中で経験を積み重ねながら、価値観を学んでいきます。私たちは、人生の中でいろいろな経験をしていきますが、その出来事の良し悪しを自分の価値観で評価し意味づけています。
一つの出来事でも、ひとり一人の価値観で評価するから、ひとり一人の思いがそこに生まれます。その思いが強すぎると、「認知の歪み」が起こるわけです。
経験の活かし方を学んでおくと、幸福に近づける道があるようです。
同じ経験の繰り返しは、単なるマンネリ化を生んでしまう
経験することは、大事なことですが、毎日同じことを繰り返すようでは、自分で考えずに行動するという自動思考に陥り、それを繰り返すと、知らないうちに不幸せの道に進んでしまいます。このままでは、行動を変えられなくなって、機械人間のようになってしまいますね。習慣からの脱却を試みていくことが、幸福に近づくために大事なことになります。
経験が思い込み(ステレオタイプ)を生む
経験してきた出来事から、「こういうものだ!」という思い込み(ステレオタイプ)を持ってしまうことは、誰にでもあります。実際にあった話で、1970年代まで、楽器奏者の採用の最終権限を持つ楽団指揮者の多くが、女性奏者の音楽的才能は男性よりも劣るという信念を持っていたようです。そのため、オーケストラ奏者として、女性クラシック演奏者の採用が、長い間排除されたという事実がありました。
こんな大事件でなくても、たとえば、”いままで自分にかかわった人がみんな親切だったら、自分にかかわる人はみんな親切に違いない”という思い込みで、詐欺被害にあってしまうという話もあります。過去の経験を鵜呑みにしないことです。つねに自分の思考を客観的に捉え直して行動することが大事ですね。
同じ経験を他者と比較する
とかく私たちは、他者と比較して物事を見ていく癖を持っているものです。たとえば、隣の美穂ちゃんよりも評価が良かった、美穂ちゃんよりも評価が悪かったというように。これでは、自分の中にある評価基準が、隣の美穂ちゃんになっているから、いつまでたっても美穂ちゃんに依存している状態と言えます。
では、美穂ちゃんはどうだろうか?
もしかすると、美穂ちゃんは、ナンバーワンを目指していたかもしれない。ナンバーワンになれば目標を達成したわけだから、最高の満足顔になっているに違いありません。でも、もし2位だったら美穂ちゃんは、きっと苦虫をつぶした顔になっているに違いないでしょう。自分の努力不足を悔やんだり、「なぜ一歩及ばなかったか」を憂うでしょう。それは、美穂ちゃんが一位になることを評価基準にしていたから、2位では自分を評価できないからです。
いろいろ経験することは、不必要なのか
最近、耳にする言葉があります。「そこそこ幸せなら、わたしは満足です」。日々、そこそこ幸せで、毎日変化なく平々凡々と過ごせたら幸せだということのようです。たしかに、仕事は変化していくし、仕事に追われて息をつく暇もなければ、心静かな時間を持つことで、幸せを味わうことも大切だとは思います。でも、人間として生まれたわけですから、経験することを楽しまない手はありません。
何を軸に経験するのか
体験したことを 何かしらの基準に照らして評価する傾向が私たちにはあると話しました。それぞれの評価基準しだいで、どう感じるかが違ってくる可能性があります。このように相対評価をしていると、外からの影響をもろに受けて、いつまでも満足を得られずに、不安を感じてしまうことが多くなってしまいます。ゆえにトップアスリートたちは、かならず自分の過去のタイムや自分のベストパフォーマンスと戦っていますよね。経験は、過去の自分からどれだけ成長したかをみる、つまり成長の物差なのです。
幸せ。 どうやって私たちは、幸せを実感しているのだろうか?
幸せを実感するときは、どんな時だろう。
- 人間関係が良く、安心できる仲間がいる、家族のだんらんがある、持ち家がある、車があるなど、自分が望んでいるものを持っている状態は、幸せといえるでしょう。
- でも、自分は望んでいるけれど、今より、もっと多くの収入や、もっと良い仕事につきたいけれども、持っていなければ、幸せと感じられない欲求不満な状態といえます。
- または、自分は望んでいないのに、持っているものもある。たとえば、健康上の問題、借金、人間関係の悪さなどは、私たちを不幸にしてしまいます。
- 自分は望んでいない、かつ持っていないものもある。これは私たちには気づきにくいものですが、持っていないから幸せといえます。将来はもしかすると、持ってしまうかもしれない健康上の問題、借金、人間関係の悪さなど。それを今持っていないことが幸せといえるのです。
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幸せを実感する経験とは
人生は変化に富んだものです。できたら、楽しいことばかりで、なんでもうまくいって、豊かに過ごすという経験ができたら最高かもしれません。もしかすると、いやなことばかりで、失敗ばかりの経験をして、がっくりと落ち込んでしまうような結末になってしまうかもしれない。
新たな経験をしたことで、楽しいことと出合ったり、困難に出会ったりします。でも、経験しなければ、自分の感情も動かないし、学びもありません。
幸せを生む、変化に富んだ経験とは
ものの所有や報酬を増やすことで得られる幸福感は、どうしても順応や習慣化によって損なわれてしまいがちです。たとえは、報酬が大幅に上がったことに満足しても、数カ月たてばそのありがたさは無くなり、当たり前になってしまうので、幸福とは思わなくなってしまうものです。
それに対して変化に富んだ経験から得た幸福感は、より長期にわたって大きな効果を与えてくれます。それは、幸せな経験を自分で意味づけして認知するから。そして、自分のストーリーとして蓄積されます。つまり、他者の影響を受けることなく、自分でどう記憶するかをコントロールできているからですね。
経験を振り返ってみると(私の経験)
12歳の時に父が心筋梗塞で急死し、人生に終わりがあることを知った。それから、幸せから遠く離れた存在だったように思います。自律することだけを考えてキャリアチェンジをしながら30代に。そして自分を取りもどすために、フリーランスになることを選択し、自己選択して生きることの重要性を実感する。そして、60歳の時に癌になり死ぬかもしれないという経験をした。自分の人生をどう生きたいかを考えるきっかけを作ってくれた。
経験を振り返ると思いもよらない経験をしたことで、いまの幸せに気づきます。
でも、思いもよらない経験は、できることなら避けたいし、逃げれるものなら逃げたいかもしれません。でも、避けないで、逃げないで経験することをお勧めします。私に勇気をくれた言葉を紹介します。
「セラヴィ」(C'est la vie)という言葉があります。
フランス語で、「セラヴィ」(C'est la vie)は「これが人生だ」または「そんなものさ」という意味です。日常生活で起こる様々な出来事を受け入れる際に使われる表現で、予期せぬ出来事や思い通りにいかないことがあっても、それも人生の一部であるという意味合いを含んでいます。この感覚が、私を楽にしてくれました。「そんなものさ」、そう考えるといろんな困難も、気負わずに受け入れられるような気持にしてくれました。予期せぬ出来事は、人生に織り込み済みの出来事なんだと思えたのでしょうね。
人生の予測不可能な出来事を受け入れなければならない時、この「セラヴィ」とつぶやくと、なんだか軽い気持ちになれるフレーズだと思います。
あなたに幸福をもたらすもの。その経験の活かし方について、いかがでしたか?<まとめ>
- 同じことの繰り返しは、幸せから遠い人生になる
- ものの捉え方が固定化していないか、思い込みに気をつける
- 何を軸に経験するか、他人との比較でなく自分の成長軸をみる
- 幸せの捉え方を学ぶ、「自分が欲しくない、かつ持っていないものがある幸せ」という考えをもつ
- 変化に富んだ経験をする
- 予期せぬ出来事も受け入れなければならない時は、「セラヴィ:これが人生ってものね」と言って受け入れる
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あなたの人生は、あなたが作り描くもの。いろいろな経験を あなたがどう捉えるかで、経験の活かし方が変わります。
幸せな人生に向けて、限りある旅路ではありますが、作り描いていきましょう。
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参考文献:<『経験バイアス』 エムレ・ソイヤー/ロビン・M・ホガース著 白揚社>