独りぼっちと一人でいることは違う、孤独になることの勧め。
“一人でいる“人は、孤独な人。と、ちょっと悪いイメージがあるようです。人としては暗く孤立した人と感じるのかもしれません。それよりは、友達とワイガヤするとか、楽しくおしゃべりするとか、そういうほうが健康的な生き方だと言われそうです。でも、”一人でいること“が充実していると、”セルフエスティーム“も充実していると言えるのです。
こんにちは、日本セルフエスティーム実践協会(JSELジェイセル)の小西です。
こんな経験はありませんか。
“仲間と会っていても、なんとなく自分が仲間の輪の外にいるような感覚、つまり孤独感を味わったこと”は誰もあるのではないでしょうか。
気づくと孤独になることを恐れて、そんな自分を見ないようにするために、SNSの「いいね!」の数を気にしたり、フォロワー数がいっぱいいる人とつながったり、気づくとスマホを見入っている自分。これでは、他者に依存した生き方と言われても、しかたありません。独りぼっちになるのが寂しいとか怖いという気持ちが、そうさせているのかも。
“ひとりでいる”―孤独―になることの勧め
でも、人間には、あえて“ひとりになる時間”を持つことが必要なのです。なぜなら、自分の外側(周り)だけに意識を向けていると、自分の内側(内面)は未発達のままになってしまいます。
ひとりでいることは、自分自身と対話する唯一の機会なのです。
自分と自分自身で対話するように「思考」する時間です。それは、他者に邪魔されない時間であり、そのような時間は、ひとりー孤独―の中でしか生まれないからです。
たとえば、本を読むときは、一人で集中して読みますね。電車に乗って読書しているときでも、あなたは心理的には一人です。きっと、本の世界をイメージしながら、あなたはその主人公に対して何かを感じ、どんなことを思ったのか。読んでいる自分とそれを聞いている自分自身との間で対話しているはずです。自分は何を感じ、自分はどう解釈し、どんな価値観を持っているか理解していきます。
自分と自分自身との対話
生き急いでいるときは、自分自身との対話は生まれない。私の例をお話ししましょう。
昔私は、懸命に働き続け、疲れを忘れるために遊び続け、その結果、気づいたら体を壊した経験があります。ガムシャラに働き、そして遊んだ結果が病気になったのです。
なぜ自分は病気になるまで働き・遊び続けたのか? どうしてそうしてきたのか、自分でもその訳は全く分かりませんでした。 入院という時間をもらったことで、いやでも「自分」と「自分自身」でじっくり対話するように思考することになりました。それまで私は、無我夢中にただ生きていたのかもしれません。
ひとりになって、立ち止まる
「自分」を省みない私に対して、「自分自身」が私の身体に警告を出してくれたと理解しました。そして自分は何を求めていたのか。または何から自分は逃れようとしていたのか。そして、どうしても逃れられないことがあること、受容しなければならない出来事、自分の人生に責任を持つことなどなど・・・。そして、この先自分はどう生きていきたいかを考えるきっかけになりました。
こんな状態になって、初めて自分の内側と対面し、自分自身と対話したように思います。
いま私は、“一人でいる”ことが心地よいと感じています。小さい時は、親と子の関係性の中、物理的にも心理的にもひとりになれなかったからなのでしょう。このブログを書くために、誰にも邪魔されず、自分は何を伝えたいのかについて、自分自身と対話しながら書き進めているのです。書き上げるために、誰にも邪魔されずに集中できる空間と時間は、心がリラックスでき、解放された感覚を実感できます。
ひとりでいる時間の意味
先日、NHKで小室哲哉さんのインタビューを見ているとき、名曲を生み出すプロセスについての質問での彼の答えが印象に残りました。曲作りの時、彼の頭の中では、「哲哉くん、小室さん、てっちゃん」という3人がいて、作曲する自分、作詞する自分、編曲する自分、それぞれ3人が彼の頭の中で、議論をして作品を生み出していたと語っていました。
他者から離れて一人でいることが必要であり、自分の中に別のアイデンティティが、何かを生み出すとき、それらの思考が共有され、より吟味されたものが生みだされるという話だったのです。一人でいる意味についての分かりやすい例だと思いました。
小室さんは、作曲でしたが、私の若い時は、グラフィックデザイナーだったので、新商品のプロモーションを創造することが仕事でした。それを制作するために、他者から離れて一人で思考する時間を生み出していました。論理的に組み立てることや、感覚的思考など、サムネイルデザインをいくつも思考し作成して、より良いプロモーションを考えていくプロセスが好きでした。そのうえで、チームと話し合いを持ち、自分の考えや他者の考えを揉んで、より良いものを生み出すために議論をしたものです。
でも、この思考は、仕事の分野だけの話ではありません。
自分自身と対話するためのヒント
自分を知るために、ひとりで没頭できることを持っていますか。飽きないことと言ったほうがわかりやすいですね。
好きなものに没頭する、たとえば、工作、作曲、俳句、将棋、研究、スポーツ、ギター・・・などなんでも。
自分の思い通りにならないものがいいですね。畑仕事もいいかもしれません(私はできそうにありませんが)。野菜作り、模型作り、スポーツに専念するのも良いですね。あなたの興味や関心があり、それと向き合って、もっと良くするにはどうしたらよいかなど、飽きずにやり続けること(もの)です。
手塩にかけたことで、思い通りになることもあるでしょうし、反対に失敗することもあります。でも、自分が没頭した時間は、そのどちらの時間の中にも、まさしく、そこにあなた自身がいます。
自分の中で、没頭できるものがあると、自分自身と対話するように思考するので、おのずと自分自身を見出すことになります。うまくできた自分も、うまくできない自分も、懸命に思考してできる限りのことをした結果ですから、ダメな自分はどこにもいません。セルフエスティームは、良い状態でキープされます。
同じ興味の人たちとかかわることもあるかもしれません。他者との関係性は、自律的な関係性になるでしょう。シェアしたとしても同化するというよりも、自他尊重の意識をもった関係性を育んでいくと思います。
没頭できるものを持つと、その中に目標が生まれ、それに向けて活動しているので、ひとりでいることが楽しい時間になります。
より自分らしく、自律的な時間を生み出していきたいですね。
ちなみに私は、「卓球に没頭」しています。私にとって卓球は、生まれて初めて自己決定してチャレンジしたものであり、一番情けなかった自分を救ってくれた大切なものです。何しろ、飽きずに続いています。自分自身と対話しながら、思考していくことが楽しいですね。
どこまで上達できるかわからないけど、自己成長を期待してやり続けようと思います。
参考資料:<谷川嘉浩『スマホ時代の哲学――失われた孤独をめぐる冒険』 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン 2022年11月>