なぜ偏見や差別は世の中からなくならないのか、あなたの中にある偏見の正体とは

こんにちは、日本セルフエスティーム実践協会(JSELジェイセル)の小西です。

緊急事態宣言が延長されましたが、オリンピックに向けてどうしていくのか、はっきりしないまま6月を迎えています。こんなモヤモヤした日々を過ごしていると、SNSから苛立ちや怒り、そして不安が聞こえてきます。 

何気なく、道で通りすがった人が、マスクをしていないのに気づき、普段だったら感じることのないネガティブな感情がふっと湧いている自分に気づきました。自分本位に自由にふるまっている人々の姿を見て、苛立ちとともにコロナがさらに蔓延するのではないかと不安を感じてしまいます。

3蜜を守っている「我々」と、守らない「彼ら」。まさに「敵」と「味方」、「内的」と「外的」の境界が見えてきます。このようなことから、偏見は生まれてくるのでしょう。今回のブログは、偏見の正体について、また克服法についても考察しようと思います。

そもそも私たちは、普通に生活しているだけでも、時として偏見を持ち、差別してしまうことがあります。その原因は、「カテゴリー化」と、それに伴って形成される「ステレオタイプ」であると社会心理学では古くから研究されてきました。

たしかに。でもなんで?!

私たちは、つねに頭の中でイメージを描きながら生活しています。その情報量は多様で、これらの処理を速やかにする要素がカテゴリー化です。たとえば人間とそれ以外、人間の中でも男性と女性や、子供と大人。企業の中でいえば、正規と非正規、男性社員と女性社員、障がい者と健常者、日本人と外国人、そして自分の属する集団とそうでない集団というように区別するのです。人は、外見、行動、声、所属、言語などを手がかりにして、小さい時期から経験を糧にして、カテゴリー化をおこなっています

なぜカテゴリー化が行われるの?

一つのカテゴリーに含まれるもの同士とそれ以外との差異を強調することで、違いが明瞭になり、より単純なイメージが描けることで、すぐに判断して行動できるようになるからです。このようにカテゴリー化を用いた結果、さまざまな社会の集団に対するイメージ(認知的な傾向)、つまりステレオタイプが形成されることになるのです。 

A group of individuals are trying to lock out the others, with different colors.

偏見の正体は?

このステレオタイプに、好感、憧憬、嫌悪、軽蔑といった感情が伴ったものを偏見ステレオタイプや偏見を根拠に、接近・回避などの行動として現れたものを差別と社会心理学では定義しています。

我々 vs 彼ら が生まれる?!

社会心理学の古典的研究で有名な泥棒洞窟実験(Sherif,M.1966)で検証された集団間バイアス (知り合いでもない少年たちがキャンプで一週間共に過ごすことで関係性が生まれた後に、違う少年たちの集団がいることを知ると、その集団に対して不快感を示した) ですが、会ってもいない外集団(彼ら)に直感的に不快な反応をし、内集団(我々)に好意的な反応をする傾向だったのです。

なぜ内集団に肯定的な感情を生じるのでしょうか。それは多分、人が社会の中で安定した生活を送ろうと思うと、内集団に好意的にふるまっていたほうが、より良い見返りも期待できるのではないかなどと安定・安心の可能性を想像して、そのような感情を生むのかもしれませんね。

逆にみれば、もし自分自身への脅威があるとしたら、セルフエスティームが傷つく、経済的な安定を失う、自分の持っていた価値観が脅かされるという状況に陥らないように、人は自分の集団を守り、外集団を差別する傾向になる可能性は高いです。

無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)

偏見はあくまで感情的、直感的なもので本人の自覚なしに生じることが分かっています。行動経済学でも、理性的な判断に基づかず、感情的、直感的に決定される在り方が広く議論されるようになっています。偏見も自分の中にあるステレオタイプと感情が、直感的に無意識のうちに生じ、対人判断の際に影響するのです。

この偏見やステレオタイプの影響を自ら抑制しようとした場合、「ステレオタイプ的な思考をしないように」と自己をコントロールしても、抑制した思考をかえって活性化させてしまう結果になることがわかっています。以前2020年9月のブログに書いた「シロクマのことは考えないでください」実験と同じ結果になってしまうのです。つまり、ステレオタイプ的思考を考えないようにしようと思えば思うほど、増加させてしまうのです。

ところで、このような経験ありますか?

仕事の打ち合わせで他社の男性と女性にあいさつした時、男性が上司だと思い込んで対応したら、女性が上司だったという話です。偏見がないと自負していたとしても、今の話のように、自分の中にある「女性より男性の地位が高い」というステレオタイプ(自分の認知的傾向)に気づくことで、無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)があることを認識します。

また、「偏見は、相手への無知や誤解に基づくもので、接触機会を増やし、真の姿に触れれば、おのずと、偏見は無くなる」というゴードン・オルポートが唱えた接触仮説(Allport,G.W.1954)があります。偏見の低減に有効なのは、4つの適切な条件を備えた接触に限られるというものです。

とくに重要なのが1.地位の対等性です。偏見の多くは相手が劣っているという信念を含んでいるので、集団の垣根を越えて接触する場合は、互いに対等な立場であることが望ましい効果を生むとされています。2.目標の共有と協力です。協力しなければ達成できないような共通する目標が与えられることも、接触が肯定的効果を持つ重要な条件になります。3.法律や制度、社会的規範などの枠組みがあることも効果的な接触を生みだすといえます。そして、最後に4.親密な接触、つまり接触頻度、期間、内容は、相手や所属集団にとっても十分な情報を得て、関係性を構築できることが求められます。互いに得られる情報が多くなるほど、ステレオタイプや偏見が誤解であることに気づき、共感や好意的関心が増え信頼感が相手集団全体への態度も改善されやすくなるのです。

じゃあ、どう克服するのか?!

私はダイバーシティ&インクルージョンの推進に力を注いでいますが、個人の中にあるステレオタイプがその推進を阻んでいるといえます。組織変革や新たなものを生みだすエネルギーを養っていくには、自分のステレオタイプ――思考の癖――を認識し、自己制御しながら偏見をなくし成長していかねばなりませんね。

まずは、他者からの忌憚ないフィードバックに耳を傾けることから始まります。自らの中にある偏見を自分で意識します。前文での女性が上司だったという失敗や他者からのフィードバックから、自分自身へのネガティブな感情(後悔、罪悪感)を経験することになります。このネガティブな経験を繰り返さないために、その経験を状況分析し、学習(例:仕事で初対面の女性と出会っても、その地位が低いと決めつけない)が促されると偏見が自己制御されるように機能するようになっていくと、デヴィンとマルゴ・モンティースらは、自己制御モデルとして提起しています。(Devine,P.G.,&Monteith、M.J. 1993) 

また個人も企業も、多様な人々との関係性を広げて、自分の認知的傾向を変化成長させながら、新たな知識を探索する機会(ゴードン・オルポートの4つの適切な条件)を作ることが重要だと考えます。

自分を成長させるのは、経験を通してセルフエフィカシー(自己効力感)、セルフエスティーム(自己肯定感)、そしてレジリエンスを養っていくことがとても大事になります。自分を丸ごと理解する、自分の良いところも嫌なところも受容できる自分。その結果、偏見とサヨナラできるようになれます。お互いに、粘り強く鍛えて、他者を尊重できる自分になりましょう。

(参考文献:北村英哉・唐沢譲編著(2020) 『偏見や差別はなぜ起こる?』 ちとせプレス)