知識と知恵は使いよう。内省で「知恵」が身につく訳⁈

知識や理論を持つことで、人と対峙する力を持てたと思う人が増えているのでしょうか。最近、SNS上で他者を言い負かしたり、論破する人たちを垣間見ることが多いなぁと感じています。なんとも不快な気持ちになってしまいます。

「年齢を経て情報や知識が増えれば教養が増えるわけではない」と戸田山教授は強調されています。この言葉を目にしたとき、最近感じていた「不快な気持ちのわけ」が、ちょっとわかったように思いました。それは、知識や情報を持っているからと言って、道理をわきまえた人になるわけではないということでした。教養というものは、奥深いものではありますが、「知恵」というものに関係があるのでは、と感じたのです。

こんにちは、日本セルフエスティーム実践協会(JSELジェイセル)の小西です。 

最近のSNSを見るにつけ、むかし「知識と知恵は使いよう」とか「人が生きていくためには知恵が必要だよ」と言われたことを思い出しました。とは言うものの「知恵」について、私はあまり深く考えたことがなかったので、今回は、「知恵」について掘り下げてみようと思います。

「知恵」とは、“物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力”とか、“物事を筋道立てて正しく処理する能力”とあります。物事をありのままに把握するとなれば、知識や情報がなければ、物事がわかりません。知識や情報は、たしかに大事です。その知識や情報の中から、問題をどう解決できるかを考えて処理する力が「知恵」と言えそうです。つまり知識や情報は、インプットすることで、その持っている知識をどう使って解決できるか考え行動する知恵は、アウトプットと言えそうですね。

最近、知識や理論で戦う人が増えていますね。知識と理論で戦う時代なの?? 

こんなこと聞いたことがありますか? 

部下から「私は、課長から依頼されたことをやりました。さらに追加するなら最初からちゃんと言ってください!」と言われた上司の話。 このごろ似たような話を聞くことがあります。

上司の「このデータをサンプルを見て、同じように作ってね」と依頼された仕事を 文字通り言われた通り、鵜吞みにしたのでしょう。多くの日本人の会話には、あいまいさがありますから、サンプル通りにやったのに、上司からOKがもらえず、さらに仕事が追加されてしまったということを訴えているのです。

その部下の語りの意図には、「あいまいな言い方をするあなた(上司)が悪い。だから私の仕事が二度手間になってしまう、最初から言ってくれたなら、ちゃんとできている」という理屈で、ズバッと切り込む言い方になっています。

そう言われた上司は、パワハラになることを恐れて、本当は部下がやった仕事にも満足していないが、辞められるよりはマシと思って、優しく対応するわけです。結果的に、部下は、自分のほうが正しいと思ってしまうでしょう。きっとこの部下は、「この会社では自己成長できない」と言って辞めてしまうかもしれません。

なんか、違和感を覚えますよね。かみ合っていません。部下はデータのサンプルを見て、同じようにデータをまとめたのに、上司がさらに追加してくるなんて、最初からちゃんとしていないからだと、自分を正当化しています。しかし、上司からもらった仕事を 部下自身の頭でどう段取りすれば完成できるかという思考力が不足しているのです。逆に、上司も部下がどうしたら自分で考え行動できるようになるかという思考力が不足しています

このケースでは、双方の思考力、つまり「知恵」が育っていないことが原因と言えるます。

知恵」は、自己成長の素なのに・・・

このケースで、この部下は自分の知識や理論で人(上司)を論破しても、何も良いことがないし、自己成長しないことに気づいてほしいです。自分の枠の中から出てこないで、自己中心的なかかわりに留まっていますね。ヒトが関係性の中で生きるには、他者と共に成長するという土台が必要なのです。つまり、「知識」と「知恵」を使って生きることが前提になります。仕事の目的が明確になり、何が問題で、どう解決していけばよいのかを考え、それに向かって互いに努力して行動することで、人間は成長してきたし、これからもそうしていくからです。

知恵」について、学びましょう。

最近、小学校の授業でも思考力・判断力・表現力を育てる取り組みがなされてきましたね。知識ばかりつけても、思考力がなければ活かせないということに気づいたのでしょう。やっと自分で考え行動できる人材の育成に、力を入れてきたようです。今までの知識重視の教育は、入学試験の傾向を考えると、まだまだ知識偏重の傾向にあります。そして、今年の全国学力テストの結果も、思考力、表現力に、まだまだ課題があることが分かりました。

もちろん知識がなければ、多様な視点を持つことができませんから、知識、つまり情報は必要です。知識は積み上げて増えていく感じですが、知恵は、持つものでなく使うもの。他者とのかかわり合いの中で、多様な視点をもって、活かしていくものなのかもしれません。

「知恵」について、興味深い文献があったので、シェアします。

ウォータールー大学心理学者准教授のイゴール・グロスマンさんの「知識と知恵」についての記事をご紹介します。(https://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m005959.html)

問題に対処し、前進する上で大切なのが知恵であり、知恵は「人々が日常生活の中で起きる問題にどう対処するか」という視点で使うものと述べています。

知恵は2つのプロセスがあり、1つ目は「メタ認知*」:「どうすれば問題となっている状況を解決し、前に進むことができるか」を客観的に捉え考える力。2つ目は「道徳的願望」:「困難な状況下で「他者と協力しながら、道徳的願望に近づけることができるか」を客観的に捉え考える力です。 

この2つのプロセスによって、目の前の問題を適切に対処していきます。どんなに知識があっても、知恵は身につきません。知恵は、過去の体験、経験、社会性、生い立ち、目の前の状況の捉え方など多くの要素から客観的に捉え考える力によって左右されます。 

知恵のある人とない人の違いは、論理的思考のプロセスです。内省の質が知恵を図る重要な指標になります繰り返し困難な状況にさらされると、時間経過とともに知恵を身につける人がいることも分かっていますが、物事を客観的に捉える術を身につけて、メタ認知を強化することが、実りある内省につながります。

これらの実証研究がおこなわれてきて30年くらいで、まだまだ解明されていないことが多い分野のようですが、自ら知恵を強化できるヒントを学ぶことができました。

どうやって知恵が身につくのか

経験したことが多いからと言って、知恵が身につくわけではない。

メタ認知を強化するには、内省が重要ということでした。単に経験するだけではなく、その経験をもう一度、頭の中で再現します。その振り返りの中で、たとえば「今回は、ラッキーにもうまくいったけれど、何が良かったんだろう?」、「もっと良い方法って他にあるのかな」と物事を客観的に捉え考える力を身につけて、メタ認知を強化することで内省力が養われることになります。その経験を振り返って、たとえば、「もっと時間がかからない方法はあるのかな」、「ほかの人はどうやっているのか訊いてみよう」、「これをやる意味って他に何があるだろうか」など内省して気づいたことを、他者に問いかけ、そして互いにシェアするプロセスが、知恵につながっていくのだと思いました。

知恵が未来をつなぐ

また、私たちが、新しいことに取り組むには、創造力を発揮する必要があるはずです。そうするにはメタ認知が必要になります。つまり、創造性も、知恵に必要な要素と言えます。

未来を築くための「知恵」を身につけるには、「自分は失敗する」という事実を受け入れることも大事になるんです。そうと分かっていても、ヒトは失敗したくないし認めたくもありません。失敗するかもしれないという恐怖に打ち勝つことは、なかなかできないからです。頭では、「誰だって失敗するんだから、怖がることはない」と思っても、他者からの眼や自尊心が、失敗させないように自分を縛り付けるわけです。リフレーミングが必要ですね。

未来へ行動するには、成功する/失敗するという捉え方でなく、その行動は、すべて成功するための第一歩と捉えることができる。

まずは、未来を築くには、自分の限界を認め、自ら学ぶ姿勢をもつことで、知恵が身につく行動になるということです。

知恵で組織を活性化する

また、会社にメンター制度を取り入れることは、従業員の「知恵」を深めるということが分かっています

特に世代間のギャップが著しい現代では、コミュニケーションが著しく乏しくなっています。その影響は、仕事で築いた個人の能力を属人化してしまうところにあります。つまり、知識や理論はあっても、知恵が不足している若手、経験は十分あるが、知識や情報が不足しているベテランという構図が多いかもしれません。

メンタリングは、メンターとメンティがメンタリングすることで、相互に知恵が深まることが、アメリカでは分かっているのです。日本では、メンタリング制度として、女性に特化したコーチング的要素で取り入れられてきました。しかし本来は、全社員に対しての「学習する組織を構築するために」作られたものです。

たとえば、ベテランは仕事で学び取った知恵を部下に与え、部下が学んできた新しい知識や彼らの価値観や職業観をベテランが学ぶという意図的な関係です。メンター・メンティが相互の関係を築きながら、学びあうのがメンタリングです。 

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知恵は、人との関係性の中で育まれるものと言えます。知識と理論を互いに対峙するのでは、知恵は生まれないということです。ヒトは、白黒つけたい人が多いのでしょう。でも対峙するのでなく、互いの考え方のどこが同じで、どこが違うのか、なんでそう思うのかなど、互いに傾聴し対話することから始めないと、人間ではなくなってしまいそうです。そう、縄張りを主張するただの動物になります。ヒトの振る舞いとは、人であることを態度で表すことから始まるのです。

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知識と知恵は使いよう。「問題に対処し、前進する上で大切なのが知恵」であり、知恵は「人々が日常生活の中で起きる問題にどう対処するか」という視点で使うものと理解できたでしょうか。

知識や情報だけでなく、知恵を身につけて客観的に物事を捉え、さらに他者と共によりよく生きるための道徳性を養って、自律した一人の人間として生きていきたいものですね。

少しでも社会が良くなるように、知恵を使って、人生を豊かにしていかないと、知恵を持っている理由がありませんものね。

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  • メタ認知*とは、ベネッセ教育総合研究所 教育情報 メタ認知より;一言でいうと、「冷静で客観的な判断をしてくれる頭の中の自分」です。 学習にたとえると、「どう覚えると覚えやすいのか」「学習全体はどのように進んできたのか」などを、第三者の視点で振り返ったり評価したりすることです。
  • 道徳的願望*とは、文部科学省 小学校学習指導要領解説特別の教科 道徳編より;学校における道徳教育は,自己の生き方を考え,主体的な判断の下に行動し,自立した一人の人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標とする教育活動であり,社会の変化に対応しその形成者として生きていくことができる人間を育成する上で重要な役割をもっている。

引用文献<サイボウズ式:「知識と知恵」イゴール・グロスマンhttps://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m005959.html>;参考文献<『教養の書』戸田山和久著 筑摩筑摩書房